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東京高等裁判所 昭和33年(ネ)2085号 判決 1961年11月15日

判  決

東京都武蔵野市吉祥寺六百十四番地

控訴人

岡田福太郎

同都中央区日本橋本石町四丁目四番地

控訴人

岡田利之助

右両名訴訟代理人弁護士

岡田実五郎

佐々木煕

同都板橋区石神井関町二丁目十六番地

被控訴人

大島春子

右訴訟代理人弁護士

梶谷丈夫

落合長治

磯辺和男

梶谷玄

右当事者間の昭和三十三年(ネ)第二、〇八五号家賃値上請求控訴事件につき、当裁判所は、昭和三十六年三月十五日終結した口頭弁論に基いて、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決中控訴人ら敗訴の部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文第一項と同趣旨の判決を求めた。

当事者双方の主張(中略)は

控訴代理人において別紙(一)記載のとおりに述べ、(証拠省略)

控訴代理人において、別紙(二)記載のとおりに述べ(証拠省略)

たほか、原判決の事実摘示(中略)と同じであるから、これを引用する。

理由

被控訴人が本件当事者間の東京地方裁判所昭和二十五年(ワ)第二、九五四号事件について昭和二十六年十二月二十五日成立した裁判上の和解により控訴人らに対しその所有の原判決添付目録記載の建物を賃料は昭和二十七年一月から一カ月一万円、毎月末日払、通常の修理修繕は控訴人らの負担、その他の事項はすべて借家法の定めるところに従うということで期間の定めなく賃貸したこと及び被控訴人が昭和二十九年五月二十九日付同月三十一日までに到達(控訴人福太郎に対しては三十日、同利之助に対しては三十一日到達)の書面で控訴人らに対し同年六月一日からの賃料を一カ月四万三千百五十五円に増額請求する旨の意思表示をしたことは当事者間に争がなく、また、本件建物のうち店舗の部分が十坪をこえ、従つて、本件建物が地代家賃統制令の適用外にあるものであることは、当審における被控訴人本人尋問(第二回)の結果によつて真正に成立したことが認められる甲第一号証によつて明瞭である。

よつて、右賃料増額請求の当否について考えてみるのに、原審における鑑定人熊倉信二の鑑定(第一回)の結果と戦後のわが経済が安定を欠き、当初の数年間の混乱時代を過ぎても物価昂騰の趨勢は停止するところなく、そして、昭和二十七年頃からは土地、建物の昂騰が特に顕著となつたこと(このことは公知の事実である)を総合すると、前記一カ月一万円の賃料は昭和二十九年六月当時は土地及び建物の価格の昂騰によつて著しく不相当となり、本件建物の当時の相当賃料額は一カ月二万三千七百八十三円であつたことが認められ、前示甲第一号証の記載及び原審における鑑定人松尾皐太郎、当審における鑑定人平沼薫治の各鑑定の結果はこの認定に反する限度では当裁判所の同調しえないところであり、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。しかして、家賃の増額について相当額以上の額を表示してその請求をした場合にもその請求は無効となるものではなく、相当額を限度として増額の効果を生ずるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和三十六年二月二十四日判決、同判例集第十五巻、第二号、三〇四頁参照)から、本件建物の賃料は前認定の増額請求により昭和二十九年六月一日からその相当額である一カ月二万四千七百八十三円に増額されたものといわなければならない。

しかるに、控訴人らは、家賃は賃貸借の当事者間に存在する特殊事情を斟酌して定められるべきものであるのに、右相当額は本件当事者間に存在する特殊事情を斟酌していないものであつて、本件賃料がその額まで増額されたものとするのは不当であるという。そして、本件建物が控訴人らの指摘するように控訴人福太郎によつて建築されたものであること(この建築の時期は後に認定するように昭和二十一年八月末頃であつた)及び福太郎が被控訴人の亡夫大島善五郎の死亡に伴う相続税にあてるものとして五千円を昭和二十三年三月九日被控訴人に交付したことは当事者間に争のないところであるが、控訴人らが前記の特殊事情として指摘するその他の事実に関する当審における控訴人利之助本人尋問の結果はにわかに信用し難く、他にこれを肯定すべき証拠はない。もつとも、右利之助本人尋問の結果によつて真正に成立したことが認められる乙第二十五号証には「借地権利料」という記載があつて、この記載はいかにも右利之助の当審本人尋問における供述中、福太郎は本件建物の敷地を善五郎から転借したものであるという供述を裏書するものであるかの観があるが、成立に争のない甲第十号証の二と当審における被控訴人本人尋問(第一回)の結果を総合すると、前記の「借地権利料」という記載は「家賃」の誤記と認められるので、右乙号証はなお前認定の妨げとするに足りない。かえつて、(証拠)と弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。すなわち、善五郎は従前本件建物の敷地を訴外高野某から賃借してその地上に建物を所有し、この建物で理化学機械の卸売業を営んでいた(但し、戦時中に休業)が、同建物は昭和十九年十一月末空襲によつて焼失した。一方、控訴人福太郎はかねてから都内荒川区三河島で理化学機械の製造販売業を営んでいたが、右土地が昭和二十一年夏頃になつても空地として放置してあるのをみてこの地に進出しようと考えるに至つた。そして、福太郎はその頃再三にわたり善五郎に右土地の転借方を懇請したが、善五郎がこれに応ずる気配を示さなかつたのでやむをえず名を捨てて実を取るべく、同年八月十八日付の契約により右地上に自費で善五郎所有の本件建物を建築し、これを昭和二十二年一月一日から三年間一カ月千円の賃料で賃借することとしたが(なおこの契約では、福太郎が本件建物の建築について支出する費用及び水道、瓦斯、電灯設備等の工事一式の費用は建物賃借の権利金にあてること及び期間満了後善五郎が右土地を自ら使用する場合には、本件建物の所有権は無償で福太郎に移転することがそれぞれ特約された。)その建築が同月末頃早くも完成し、その所有権が善五郎に移転するとともに、福太郎はこれを善五郎から賃借することになつたので、その頃昭和二十一年九月一日から同年十二月末日までの間は一カ月五百円の賃料を支払うべき旨の追加契約をした。なお、前記のように福太郎が被控訴人に五千円を交付したのは、当時被控訴人の一家が善五郎に死なれ経済的に苦境に立つたので、善五郎の生前の厚意に報いるために贈与したものである。ことが認められる(善五郎は昭和二十二年九月六日死亡し、本件建物は被控訴人の所有となつたが右土地もまたその後被控訴人の所有に帰した)。以上認定の事実は、控訴人らが特殊事情として指摘する事実とは相当のへだたりのあるものであるが、このような事実ももとより特殊事情を形成する事実というを妨げるものではないから、昭和二十七年一月当時における本件建物の一カ月一万円という賃料は右事実の存在を斟酌して特に安く定められたものであるかどうかについて考えてみるのに、当審における鑑定人平沼薫治の鑑定の結果と同人の鑑定証人としての証言を総合すると、本件建物の昭和二十七年一月当時の客観的相当賃料(当事者について存在する特殊事情を斟酌しない相当賃料)は従前から引き続いて賃借している場合は一カ月九千八百円、新に賃借する場合は同一万五千円であつたことが認められるが、当審における被控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人は前記訴訟事件で控訴人らの本件建物に対する賃借権を否認していたものであることが明瞭であるから、この事件における和解によつて定められる賃料は、特殊事情の有無を考慮の外におけば、一応控訴人福太郎において争われている賃借権(和解の場合には、この種の賃借権は原則として争のない賃借権の二分の一位の価値を有するものと評価されている)を有するものとしてその中間の一万二千四百円前後に定められるべきものであつたといつても過言ではあるまい。しかしながら、利害の対立する取引関係にあつては各当事者の側に存在する隠れた事情により実際の取引価格は常に時価ないし相当額よりも少しづつ安くなつたり高くなつたりするものであつて、殊に相当額といつても明確な基準のない家賃のようなものについては時に意外に大きな高低の差を生ずることもあるものであるから、一カ月一万円という本件建物の賃料が右のように相当額よりも二千四百円前後安かつたといつても、その賃料が前認定の特殊事情の存在を前提としてしかく安く定められたものでない以上、その安く定められたことが爾後の賃料の改定についてまでその影響力をもつというようなことはありえないものといわなければならない。そして、先に認定したように控訴人福太郎が本件建物を善五郎から賃借するについては期間を三年とする旨の特約があり、本件和解はその期間満了後にできたものであること及び当事者間に争のないように、本件和解において当事者が通常の修理修繕は控訴人ら(被告ら)の負担としそのほかの事項はすべて借家法の定めるところによる旨を特約し、賃料の増額について何らの留保もしなかつたことから推すと、一カ月一万円という本件建物の賃料は前認定の特殊事情を斟酌して特に安く定められたものとは考えられないから、控訴人らの主張立証によつてはいまだ前段の認定を動かすことはできない。

次に、被控訴人が昭和三十年四月二十六日付翌二十七日到達の書面で控訴人らに対し昭和二十九年六月一日から昭和三十年三月三十一日までの前認定の増額賃料である一カ月二万三千七百八十三円の割合による延滞賃料合計二十三万七千八百三十円を書面到達後五日以内に支払うべきことを催告し、さらに、同年五月六日付翌七日到達の書面で控訴人らに対し右賃料の不払を理由として本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは当事者間に争がない。

しかして、控訴人らは別紙(二)の準備書面の写の二、(一)(5)記載のように本件建物の相当賃料と信ずる金額を弁済のために供託し、殊に昭和三十二年七月には昭和二十九年六月一日からの相当賃料は月額一万九千五百七十七円とするのが正当であるとの結論をえ、追加供託の方法により同年六月分までの賃料をこの額で供託したのであるが、控訴人らがその主張の金額を相当賃料と信じたことについては何らの過失なく、且つ信義に反する点もなかつたのであるから、控訴人らには本件賃料の支払について遅滞の責はないと主張し(なお、控訴人らは本文の供託について弁済のための現実の提供をしなかつたことを自認するとともに、相当賃料額については争があり、たとえ控訴人らが賃料をその相当額と信ずる増加額で提供しても被控訴人はその受領を拒絶することが明らかであつたのであるから、本文の供託は適法というべきであると主張する)、控訴人らがその主張のような各供託をしたことは被控訴人の明らかに争わないところである(控訴人らがその主張の第二回目の月額一万五千円の割合による供託をしたことは被控訴人の自白するところである)が、控訴人らがその主張の供託金額を相当賃料と信じたというのは、その主張を仔細に検討すると、結局控訴人らは相当賃料の算定について独自の理論体系をもつていて、この体系によるとその主張の供託金額が相当賃料になるということに帰着し、専門家の意見を徴してこれを相当賃料と信じたというのではないことが明瞭である。従つて、ここに改めて右理論体系の当否が問題とされなければならないのであるが、その正当性を証すべき資料は皆無であり、かえつて、控訴人らが最初に被控訴人から賃料増額の請求を受けたときは、相当賃料額は従前の賃料と同額の一カ月一万円であるとし、その後これを一万五千円、一万七千七百四十五円、一万九千五百七十七円と順次訂正するに至つた事実から推すと、右理論体系は本件を控訴人らに有利に展開せんがために案出された恣意的なものに過ぎないことが窮われるから、控訴人らにおいて相当賃料を大きく下廻わるその主張の金額を賃料弁済のためとして供託したからといつて、控訴人らには本件賃料の支払について過失及び信義に反する点がないとしてその遅滞の責を否定し、且つその供託を有効とすることはできない。

そうすると、本件賃貸借契約は前認定の昭和三十年五月七日到達の書面による解除の意思表示によつて適法に解除されて終了し、控訴人らは被控訴人に対し本件建物を返還(明渡)するとともに、右解除の日の翌日から右明渡の済むまで前認定の本件建物の相当賃料である一カ月二万三千七百八十三円の割合による不法行為上の損害金(本件賃貸借契約の解除後控訴人らにおいて本件建物を占有する正権原を有することについてはその主張も立証もないから、控訴人らの爾後の本件建物の占有は共同不法行為となるものと認めるほかはない)の連帯支払義務を負うに至つたものといわなければならない。

控訴人らは本件賃料の不払について過失がなく、且つ信義に反する点もなかつたのであるから、被控訴人の本件賃貸借契約の解除は信義則に反し、権利の濫用であると主張するけれども、控訴人らの賃料の不払が無過失且つ信義則の無違反であるとし難いことは先に指摘したとおりであるから、控訴人らの右主張はその前提を欠き理由がない。

よつて、被控訴人の本訴請求中控訴人らに対し前認定の各義務の履行と供せて昭和二十九年六月一日から前記契約解除の日まで一カ月二万三千七百八十三円の割合による延滞賃料の支払を求める部分は正当として認容すべく、これと同趣旨の原判決は相当であつて本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三百八十四条第九十五条、第八十九条をそれぞれ、適用して主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第十一民事部

裁判長裁判官 牛 山  要

裁判官 田 中  盈

裁判官 土 井 王 明

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